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「弁当作って売るだけだろ?空いた時間にギターやれるよ」 とジョージ ストリートをギター担いで闊歩する自分をイメージしました。 数年後それは実現しましたが、僕は甘かった。 ビジネスはキツかったです。 それは僕が余りに世間知らずだったからでしょう。 店のイメージデザインを鉄道局に提出せねばならず、著名なデザイナーに依頼せよとのお達しがありました。 しかしデザイナーと建築士の意見が対立して、面倒な事になりました。 建築士曰く、レイアウトが現実的でないと。 結局は鉄道局の承認を得る為だけにデザイナーの作品を提出しました。 そういう局面でも、何も分からないので、自分の意見すらなかったんです。 だから両方に翻弄され、迷いました。 現地のコンサルタントも色々と考えてくれたのですが、現実的ではなく、絵に描いた餅のような理想を要求していました。 それだけならいいのですが、 「もうだめ、この話は終わりだ」 もう既に全て話が進行しているにもかかわらず、突然そう切り出すのです。 「ガスが使えない、電気でないと鉄道局がダメと言ってきた」 「電気じゃダメなんですか?」 「当たり前だ、話にならない」 全てを店につぎ込んでいるのに、そんな事で諦めるわけにはいきません。 とにかくやれるようにする、それだけなのですが、振り回される僕らでした。 「電気しかダメなら、僕らは電気でやりますよ」 次第にこの人で大丈夫か?と思うようになりました。 ただでさえ不安なのに加え、そういう関係も面倒でした。
なんでも訊くしかないけれども、その相手次第で困ったことにもなるのだと。 オーストラリアに渡る前からそんな具合でした。 それもこれも自分が無知で無能だったからです。 仕方ないです。 「こんなんで大丈夫かな?でも、とにかくやるぞ」 という思いだけでした。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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