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毎朝コーヒーをすすりながら、聖書を1章読み、お祈りをします。
それは自分がどこから来たか、なぜ生きているのか、どこへ行くのかを確認する事でもあります。 何千年も前に書かれた聖書には、不思議がいっぱいです。 シドニーではハーバーブリッジを渡った、北部に住んでいました。
大きく入り組んだシドニー湾のおかげで、至る所に美しい入江があります。 シドニーの市街区から5kmほどの距離にある、キャマレイに家を借りてました。 「なぜ1音1音が磨かれてるみたいになるんですか?いちいち気にしながら弾いているんですか?」
「メーン、そんな時間ないぜ。それはつまりフレージングの事だろ?フレージングは大切だ、俺もこだわってるぜ」 シドニーで日本食のテイクアウトのお店を10年やってました。
1996年、巻き寿司ブームの始めの追い風に乗ってスタートしました。 しかし、3年目になるとコピーとも呼べない店が乱立し始めました。 オーストラリアのシドニーは美しい街です。
こぢんまりとして、1日あれば行き巡る事が出来ます。 僕がいたのはオリンピックがあった頃です。 居住区域と中心街のメリハリが大好きでした。 なんでも近場で済ませる事が出来て、便利でした。 Tシャツに半ズボン、サンダル履いて、いざ買い物に。
街はプレゼントを買う人で賑わっています。 アイスクリームやソフトドリンクを片手に楽しそうです。 マーティンプレイスには、伝説のエアギタリストが今日も変わらず出演中です。 そして巨大なツリーがそこにある… 前回の話の続きになりますが、僕は騙された体験からも学びを得ました。
男は良いストーリーテラーだった。 そう思うのです。 僕との接点を見つけると、そこに彼の物語を語り始めました。 僕は引き込まれました。 シドニーでお店をしていた頃、アートペッパーのアルバム「Among Friends」をよくかけていました。
キッチンからフロントを覗くと、一人の白人男性が音楽に併せて体をゆすってました。 その僕の視線に気づいた彼は… 「Yeah, Art Pepper, man!」 僕には手に負えないプロジェクトでしたが、家族とOさんの会社と、2人のコンサルタントのおかげで何とか、オーストラリアに行けました。
僕と妹、兄の家族3人で、一軒家を借りて住みました。 キャマレイというシドニーの中心部から車で10分くらいの、閑静な住宅地です。 ユダヤ人と日本人夫婦の方の所有する、築100年近い家でした。 オーストラリアは地震がないので、古い家をリノベーションしつつ住むのが良いとされています。 古い家の方が天井が高かったり、アンティークな感じが好まれたりします。 「弁当作って売るだけだろ?空いた時間にギターやれるよ」
とジョージ ストリートをギター担いで闊歩する自分をイメージしました。 数年後それは実現しましたが、僕は甘かった。 ビジネスはキツかったです。 それは僕が余りに世間知らずだったからでしょう。 店を始めると言っても、そもそもビザの問題がありました。
そこで現地日系の代行業者に依頼しました。 最初に会社を立ち上げて、僕は雇われるという形です。 株主はOさんの会社と僕の家族です。 兄弟でやってましたが、ビザの都合上、名義が最初はややこしい形態でした。 Maruichi Australia Pty. Ltd.という会社名です。 小さな店なのに、3人(僕、兄、妹)も日本から雇うというのは不自然で、ビザの取得は難航しました。 結局最後まで、ビザの更新手続きは頭痛の種となりました。 「シドニーすごく気に入りました。やってみたいです」
「キヨスクみたいなのを考えてるんだ、そんなに難しくないよ」 当初、声をかけられた僕が、シドニーでお店を始めるというアイデアでした。 とはいえ何の経験もなかったので、まずは声をかけて下さった方のスーパーの惣菜部で教えてもらう事になりました。 ブラジルから日本に帰国して、今度はオーストラリアに視察旅行する事になりました。
行くのは楽しみでしたが、その後の事を考えると軽い気持ちでいてはいかんと思いながら出発しました。 兄も一緒に行き、色々と見て回りました。 シドニーはこぢんまりとした住みやすい街です。
シティ(ダウンタウン)は1日あれば行き巡れるほどの広さです。 シドニー湾は複雑に入り組んでおり、その分だけ多くの入り江があります。 住宅街は緑豊かで、レンガ造りの家が多く、茶色と緑の統一感が美しいです。 |
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4月 2023
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