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留学時代、アメリカのローカルの層の厚さ、レベルの高さに驚きました。
誰でも教育が受けられる事、演奏の機会が至る所にある事にも。 フルタイム、パートタイム問わずミュージシャンをしながら学ぶ人も、趣味の人、年齢も様々です。 そもそも家が大きいので、ガレージでリハーサルできます。 教会でもしょっちゅうライブをしてます。 もちろんカレッジでもプラクティスルームやリハーサルルーム、コンサートホールなど完備されてました。 素晴らしい環境でした。 僕は完コピバンドとかソロとか苦手です。
カチカチに固まってしまいます。 自由なフィーリングの中で演奏する事が多いので、慣れてません。 それぞれ違う人間が、一緒に演奏する。 自由な雰囲気があって、楽しく演奏できる。 好きにやっていい、ちょっとくらい間違えても平気。 それは、その瞬間を生きる、と言う事を肌で感じられる行為だと思うんです。 何も無い所から何かを作るのは、神様の業です。
人間が作るものは、何かを加工したり、組み合わせたり、または何かからアイデアを得たり… 創造的であるけれど、完全なる創造をしてるわけではありません。 基本の動きを何度も練習するのは面白いです。
自動的になっているのに、繰り返す。 考えずにやれるようになって、その意味が分かってくる。 例えば、英語やギターで一つの単語やトライアドを学ぶとします。 何度も発音する、弾く、そうすると色んなやり方、捻りができるようになるには、余裕が必要だと気づきます。 だから基本の動きを馬鹿らしくても何度も繰り返します。 シドニーにいた時、最後の3年半くらいですがギグを貰えるようになりました。
お店をしながら、音楽教室で教えながらなので、週末限定でした。 電話で、日時、場所、金額、どんな感じの仕事か、誰とやるのかを伝えられて、現地集合というものです。 スマホの影響で、脳の退化が心配されるようになりました。
僕も記憶力や集中力が落ちたと実感しています。 そこでブログを書いたり、考える時間を持とうと努めています。 認知症になりたくありませんし、今からトレーニングした方がよいと。 ゴスペルは、僕に何にも代え難い喜びを与えてくれます。
もちろん、他のジャンルの音楽も好きですし、演奏するのも喜びを感じます。 でも、ゴスペルは全く違う種類と言えます。 自分を造ってくれた父なる神に向かって歌います。 宇宙、時間、空間、万物の創造主と繋がる行為です。 歌詞は祈り、聖書の言葉、感謝などです。 六月は僕が生まれた月、同時に好きなアーティストが亡くなった月でもあります。
一人はクリフォード ブラウン(トランペット)、そしてマイケル ジャクソン。 アルバム「スリラー」の発売年が1983年、僕が洋楽を聴き始めた年でした。 「Beat it」のギターソロは、エディ ヴァンヘイレンがノーギャラでやった事に驚きました。 なるべくカッコつけないように、リアルな表現を目指しているところです。
結構難しいというか、勇気がいるし、リスクもある… でも、どうなんだろう? たとえヘマしても、カッコ悪くても、誰が僕の事に興味を持つのか? 今ではちょっと信じられないかも知れませんが、僕の高校ではギター禁止でした。
入学してすぐ、自己紹介の時に 「ギターを弾きます」 といった直後に担任が 「なに?河合、お前はギターを弾くのか?ギターは不良のやる事だ、ギターは人生をダメにする。俺のところに持ってこい、俺が捨ててやる!」 と怒鳴られてしまいました。 それからしばらく毎朝 「河合、お前ギター捨てたか?」 などと色々みんなの前で責められ続けました。 Joe Passという伝説のジャズギタリストが言ってました。
「もっと本能を信じて弾けよ。十中八九上手くいくから」 最近この言葉を聞いて、感動しました。 僕は完璧なステイトメントを求めるあまり、詰まってしまうんです。 |
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4月 2023
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