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モノではない、問題は人だ。 ブラジルにいた時、それを痛感しました。 何かの不足から、クリエイティビティや能力、筋力が刺激されたりするものです。 おもちゃが無いから、作る。 シューズも無い、公園も無い、でもサッカーしたい。 だから裸足で、路上でやる、それが彼らの普通。 足裏の筋肉が日本人とは比較にならず、球際に強いのが当たり前になります。 多くの教会には、まともな機材など無く、弦も錆びてました。 マイクもスピーカーも音が歪んでました。 でも心を動かすのは人でした。 機材は関係ありません。 本当にそう思います。 テオという友達がいました。 よく演奏をしましたが、彼はバイーア州出身のネグロ(黒人)です。 彼の部屋に行くとよく、チープなヴィオロン(ナイロンアコギ)で弾き語りしてくれました。 リズムが凄く強力で、粗があるものの、それこそが味と言わんばかりの野性味を醸し出していました。 僕はただひれ伏すのみでした。 同じく、ノルデステ(東北地方)出身のジュニオは白人ですが、ベースを弾かせると、メチャクチャ前倒しのノリが強力でした。 本当にボロいベースを使ってました。 彼とは半年一緒に住んでましたし、ずっと演奏して旅した仲間です。 牧師の息子でもあった彼は教会で育ちました。 だからどの楽器もそこそこ弾けるマルチプレイヤーでした。 僕はと言えば、当時モノを持たなかったとは言え、CDラジカセを弟に持ってきてもらいました。 そしてMDを持ってました。 エフェクトはボスのマルチを使い、アメリカ時代から使っているフェンダーチャンプ12というアンプを使ってました。 ギターは今も使ってる、ヴァリーアーツ(ジャパン)のストラト。 それらの機材はブラジルでは非常に高価なものでした。 庶民には手が届かないものでした。 ブラジルでは、まだカセットやレコードが普通に売られ、CDも有りましたが、多くはコピー、海賊版でした。 楽器だけでなく、音源の質や機材も非常に遅れていました。 でも、彼らを見ていて機材は関係ないとわかりました。 自分の中にある音を出そうとしているだけ。 そのための練習なのだと。 彼らの中には、ブラジルの色んなリズムを聴いて育った、沢山の引き出しがありました。 そしてリズムが良ければシンプルでも、音がチープでもオーケーなんだと。 彼らと一緒にいて、それを痛感しました。 今は当時よりもっと便利になりました。 情報が溢れ、誰でも学べます。 全体のスタンダードは上がりました。 でも、当時の僕が彼らを羨んだように、今も大して変わらないのかも知れません。 結局、際立つ個性というのは、少数なのでしょう。 外から取り込む情報を、どうやって自分のものに変換して出すか?
イマジネーションをフルに稼働できる環境が好ましいと思います。 その点、モノが不足している方が、有利なのかも知れません。 僕の場合、機材の進化によって、自分が変わる事はありませんでした。 むしろ、自分のものの見方が変わった時、全てが変わり始めました。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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