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「神様は、僕が幸せである事を願っている」 日曜礼拝の説教でそう教えられました。 僕が、健康で、元気で、心穏やかで、経済的に繁栄し、好きな事を沢山できて、才能をフルに発揮できて、愛する人と幸せな時間を沢山過ごせて、いつも喜んでいる事。 一見、自己中心的かと思うかも知れません。 でも、違います。 それは簡単に分かります。 なぜなら、それらは僕が娘に対して願う事そのものだからです。 神様は僕を造り、愛していると聖書で語っています。 だから当たり前だと分かるのです。 いや本当は、僕が娘を愛するのとは桁違いの愛なのです。 ひとり子イエス様を僕の為に身代わりに差し出すほどの愛です。 全くクレイジーです。 罪人の為に娘を差し出して身代わりに死刑に処すなんて、僕には絶対できません。 信じられない大きな愛です。 低く見積もっても、僕が娘に対して願う事くらい願っていて当然です。 そうか、僕は幸せでいていいんだ、と思えるようになりました。 「神様、あなたがそう願うなら、僕は幸せでいますよ」 最近はそう祈る毎日です。
そうすると、言葉では表せない、平安で、気持ち良い感覚に包まれます。 神様の願い、気持ちと、僕の気持ちが繋がった感じです。 それはすごく幸せな感覚です。
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4月 2023
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