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「魂を裸にする」ふと思いついた言葉です。 僕は色んな服を魂に着せて、カッコよく見せようとしていました。 でもそれは気持ち良くない、と分かりました。 僕がなぜ海外にいた時に自由を感じていたか?
その理由の一つに僕の言語力の低さがあると気づきました。 これまでは、単純にその国の文化とか、気候の良さに原因があると思っていました。 しかし、僕の側にも大きな要因があったと思います。 言語力が乏しいので、ストレートさを維持できたわけです。 婉曲な表現、気取った表現など出来ません。 自分の考えと気持ちを、真っすぐ分かってもらえるように伝えるのみです。 日本語でやっているような、「空気を読む」とか出来ないのです。 でもそれって素晴らしくないですか? 本来なら、子供の時のように、思った事を素直に伝えたいのです。 今でも僕はそういう風に出来る人には、そうしています。 本当の気持ちを伝えられる人がいるのは、感謝で、宝物です。 海外に住むと、カッコつけていられません。 全てがアウェイなのです。 体当たりで行くしかないのです。 分からない事だらけなので、みんなに頭を下げて教えてもらいます。 感謝の気持ちを伝え、自分の出来る事でお返しします。 海外で暮らした15年間、僕の魂は裸だったのだと思います。 今海外で暮らしても、それは難しいかも知れません。 インターネットで情報収集できるからです。 その点、プリインターネット時代に海外に住めたのは、僕の貴重な財産です。 僕は魂の付き合いを求めているのだと思います。 海外に戻りたいのは、きっとあの頃の裸の自分を求めているのでしょう。 ならば、今、ここでも少しずつ脱ぎ始めてはどうか?と。 SNSの問題は、魂に自分らしくない服を着せる事ではないでしょうか? カギは全て脱いでしまう事、裸になってしまえば、幸せだと思います。
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4月 2023
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