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ミニマリズムにこだわるあまり、身動きが取れなくなるのは好ましくありません。 僕の考えでは、嫌なノイズをカットできればそれで成功です。 全てのノイズを完全に削除する目標ではなく、いかに良いノイズを保ちながら生きるかが目標だと思います。 全てのノイズを完全に遮断すると、逆に不自然に感じます。
自然の中にはノイズが溢れています。 それは風や鳥や虫の音など、心地よいノイズです。 静寂の中に音は含まれています。 耳を澄ませば聞こえてきます。 それを人為的に削除して(つまり真空状態)しまうと、人は不快になります。 真空状態でなければ、音は溢れているのが自然です。 でもそれは聞こうとしない人には、聞こえません。 ノイズは誰か(何か)が生きている証拠であり、自然の中に住んでいる証拠です。 ノイズを極限に減らし、不自然に生きるのはお勧めしません。 何故なら、自分らしくない生き方を創造するからです。 ノイズが減った結果、自分らしさを得ていなければ、意味がありません。 悪いノイズを減らせば感性が研ぎ澄まされ、些細な事に感動できるようになります。 健康的に生きようとすれば、ノイズを幾分含むはずです。 多少の不便や、モノを揃える必要もあります。 それは良いノイズです。 自炊や生の食材から調理する、それは手間がかかり、調理器具も必要です。 妻と買い出しに行くのも良いノイズ、デートです。 子供と遊ぶ、絵本の読み聞かせをする、それらは良いノイズです。 手で触る事のできるおもちゃは脳に刺激を与えます。 子供は予期せぬ事、要求ばかりします。 自分の思い通りにならない事だらけで、でもそれも楽しいのです。 「減らし続ける事に挑戦」は選ばれた人の楽しみです。 家族と暮らすミニマリストには、家族の人数分だけノイズが増し加わります。 それだけ工夫と挑戦の甲斐があります。 つまり色んなやり方を試しながら、楽しめるわけです。 人が生きている限りノイズはあり、それが気持ちよかったりもするのです。 健康になるため、家族のため、幸せになるためのノイズかどうか吟味しつつ過ごせばいいです。
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4月 2023
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