|
減らす前には、余剰があります。 余剰の前には、満足があり、その前には不足があります。 不足している時に満足を味わう事は出来ません。 戦時中、戦後はモノが不足していました。
だから不足していた時代は、そこから脱出する事が目標でした。 僕の生まれ育った70~80年代は、成熟期でした。 もうすでに余剰の時代であり、質を求める時代です。 不要なものは捨てるようになりました。 以前は「それを持つのがステイタス、持ってないと恥ずかしい」ものに対しても、「自分には不要」と切り捨てる人が増えました。 特に、家や車です。 これらは人生の中で最も高価な買い物です。 なぜならその代償として、ローン地獄に陥るからです。 経済が30年に渡り低迷すれば、もはや「持って当たり前」は過去の常識となっても当然です。 親が「ローンの支払いのために仕事をする、苦労する」のを見たからです。 「人生は銀行のためにあるのか?」と疑問になるのが普通でしょう。 そして、「持って当たり前」のモノは、そうなった瞬間、価値は落ち始めます。 永遠に上がり続ける事はありません。 みんなに行き渡ってしまったら、別にステイタスでも何でもなくなります。 あるのは「持つのが適切かどうか?」という問いです。 ここで最近多くの人が、「持たない選択」を良しとするようになりました。 なぜなら、持たない事のメリットに気づき始めたからです。 そして選択の能力を駆使するほどに、人生は良くなっていくと気づきます。 これまではマスメディアの洗脳の時代でした。 テレビによる大衆の洗脳です。 今は細分化された価値観の時代です。 だから情報を選べます。 何でも選ぶべきです。 選ぶほど、楽しくなります。 自分を知り、自分らしく生きるようになるからです。 そのためには多少の不便も、受け入れたくなるのです。 そう思うと、今は素晴らしい時代です。 あるのに、放棄する、捨てるのです。 それは不足ではなく、内面の充足のために捨てるのです。 なんとミニマリストはかっこいいのでしょう。 メンタル的に満ち足りているので、堂々としていられるのです。 「不足していた時代は良かった」ではなく、それぞれが自分の生き方を選択しています。 「どれだけ持つか、稼ぐか」には満足はありません。 「自分が幸せかどうか」が尺度であるべきです。 自分を知らなければ、その尺度は持てません。 ミニマリズムは自分を知る事です。
0 コメント
返信を残す |
アーカイブ
4月 2023
|