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昔パラグアイで出会った宣教師の事を今でも時々思い出します。 「元ストリートチャイルドの俺でもこんな風に変われたんだ」 ラフな風貌で、いわゆる普通の人が抱く宣教師のイメージとはかけ離れてました。 でもそんな彼だからこそ、絶望の人生を歩む子供達も共感しやすいのでしょう。 「聖書の中に、神様があなたを母の胎内で作った、とある。本当のお父さんは神様なんだ」 彼はそう言いました。 自分は望まれないで生まれてきた、と思う人もいます。 実際、彼のようにストリートで生きる子供をブラジルで沢山見ました。 「泥棒とヤクの運び屋しか出来なかった俺だぜ」 生きるために、それしか方法がなかったそうです。 でもそんな彼が本当の父親(神様)を知った事で、人生が変わり始めたのです。 そして彼は本当に幸せな人となりました。 彼は多くの子供たちにとって希望となりました。 親を知らない子供たち、愛されなかった子供たちに、彼は生き方を教えられるのです。 ストリート育ちの子供がクリスチャンになり、生まれ変わった証言は、時々聞きます。 僕が聖書の神様が大好きな理由の一つがここにあります。 どんな形で生まれてきたとしても、 「あなたは私が作った」 と言い切ってくれるからです。 神様は全ての生まれてくる人に対して責任を負って下さいました。 人の目には望まれないで生まれてきたようであっても違うのです。 「あなたを私の目的のために作った」 と優しく語りかけてくれるのです、なんという希望ではないでしょうか。 たとえ生物学的父親がひどい人であっても希望を持って下さい。 真実のお父さんは神様だと言ってくれているのです、失望しないで欲しいのです。 でも苦しむのは子供だけではありません。 産んだ人も苦しみ続ける事でしょう。 「自分の過ちは許される事はない」 「子供に申し訳ない」 「どうやっても償えない」 そんな思いをずっと引きずっています。 子供を捨てたりしなくても、うまく育てられずに苦しむ親もいます。 あるいは離婚して、子育ての難しさや、将来の心配を独り背負っている親も多いです。 「自分がいけないんだ」 「なぜ自分だけがこんな苦しみを負わなければいけないのか?」 「子供に寂しい思いをさせてしまった」 「子供は将来精神的に問題を抱えたりしないだろうか?」 やってしまった事は消せません。 償いをしなければなりませんが、償い切れるものでもありません。 それで真面目な人ほど自殺してしまうのかも知れません。 死んで詫びるしか方法はない、と思ったりしてしまうのでしょう。 でも希望があります。 聖書は 「全て疲れた人、重荷を負っている人は私の所に来なさい。私が休ませてあげます」 「私はあなたを罪に定めない」 これはただの気休めではありません。 神様はあなたを本当に愛しています。 愛には犠牲が伴います。 その犠牲が大きいほど、愛の大きさを知る事が出来ます。 「償いようがない」 「死んで詫びるしかない」 と思うような悪い経験は僕にもあります。 その記録を拭い去る事は出来ません、完全に無力です。 だからこそ、神様はその独り子イエスをこの世に遣わしました。 そして罪滅ぼしをして下さいました。 私たちが死んで償う代わりにイエス様が十字架にかかり、死んで下さったのです。 神の子イエス様を代わりに差し出して、罪の償いをして下さいました。 それほどの価値があなたにはある、と聖書は教えています。 本当の子供だからこそ、価値があるのです。 クリスマスを祝うのはそのためです。 「神様はイエス様をこの地に送って下さった」
取り返しのつかない事をしてしまっても、神様に出会えば希望を持つ事が出来るのです。 あなたも、あなたの子供も、神様の愛の中で生きるのが、本当の人生です。 どうかこの愛を受け取って下さい。 その受け取り方はこうです。 「神さま、イエス様を送って下さり、ありがとうございます。私の罪のためにイエス様が十字架で死んで、蘇って下さった事を信じます」 心からこう告白すれば、あなたは救われ、クリスチャンとなります。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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