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ブラジルで1年住んだ事があります。 実際には半年で一旦帰国し、ビザを取り直し渡伯しました。 当時情報がありませんでした。 多くの在日ブラジル人の友達は、ビザは何とかなるというばかりでした。 とりあえず、観光ビザで入国し、その後切り替えればいいと。 僕も24歳と若く、何も知らない子供でした。 日系ブラジル人は移民として住んでいたので、ビザの問題はありませんでした。 みんなは普通に暮らせてるし、ブラジルという国は何とかなる、という安易な考えでした。 だから彼らが帰国してビジネスを始めるというので、誘われるままに行きました。 何ができるのか調査するつもりでした。 当時バブル崩壊後で、父の工場の経営も厳しくなっていたからです。 でも、移民の時代はとっくに終わっており、仕事をするには2千万円くらいの投資をしなければいけないという事が分かりました。 それは随分後になってからの話で、どこへ行ってもたらい回しだったのです。 領事館へ行けばいいよとか、連邦警察署で解決するよ、とか。 でも、全然だめでした。 無下に扱われて、終わりです。 領事館なんて、僕が日本人でも全然知らん顔でした。 何の助けにもならないんだなあと、知りました。 連邦警察署では、確かに3ヶ月の観光ビザを延長してくれました。 でもそれ以上の事はできません。 僕は困りました。 その頃には、バンドとの旅の生活にも慣れて、ようやく落ち着いた?生活パターンになった所です。 本当に楽しく有意義な毎日だったので、帰国など考えもしませんでした。 それでもやはり、ビザの問題はどうにもなりませんでした。 みんなは一旦国外に出れば大丈夫だと言います。 それでパラグアイに行く事になりました。 でもポルトガル語も分からないのに、スペイン語のパラグアイに行くのは、かなり危険です。 しかも、パラグアイとブラジルの国境、それはアルゼンチンとの国境でもあり、つまりイグアスの滝がある所なのですが、そこまでバスで22時間です。 そこで、バンドのドラマーで後に僕のルームメイトとなった、ジュニオに同伴してもらう事にしました。 12時間くらいのバスの旅は慣れてましたが、22時間はさすがにきつかったです。 現金もあまり持たずに出かけたので、イグアスの滝の隣を通ったのに、立ち寄りませんでした。 今思うと、勿体無かったと思います。 巨大なパラナ河を国境に、パラグアイに入ります。 長く続く橋を徒歩で渡りました。 その橋には、世界各国の言語で、自殺するな、早まるな、神様はあなたを愛している、などと書かれていました。 柵のようなものもなく、そのまま飛び込めば死ねる環境でした。 血迷ってしまう人も多いのでしょう。 国境付近は、屋台みたいなボロい土産物屋で賑わっていました。
ブラジル同様、ポンコツの何だか分からない商品を、インディオみたいな人たちが売ってます。 ポルトガル語圏とスペイン語圏とは、顔の違いがよくわかります。 関税フリーのパラグアイは、多くのブラジル人がショッピングに来ます。 でも、見ると非常に危険な感じが漂います。 ひったくりに合わないよう、注意が必要でした。 楽観的なジュニオですら、若干緊張気味で… 人混みを掻き分けながら、その様子が伝わって来ました。 近くに移民局があると聞き、そこで3ヶ月の観光ビザを更新するために、向かいました。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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