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毎朝コーヒーをすすりながら、聖書を1章読み、お祈りをします。 それは自分がどこから来たか、なぜ生きているのか、どこへ行くのかを確認する事でもあります。 何千年も前に書かれた聖書には、不思議がいっぱいです。 信じる者は救われる、のです。
信じるなら、それは個人的な関係になります。 それが神様が計画した事だ、とあるのでやはりそうなんです。 「私があなたを造った」 「母親があなたを忘れても、私は決して忘れない」 「世の終わりまで、あなたと共にいる」 「あなたは私の目に高価で尊い、私はあなたを愛している」 「私が神である、私の他に神はない」 そういった言葉が太古から、信じる人を救ってきました。 僕は海外で暮らしながら、これらの言葉により励まされてきました。 何も分からない土地で、情報もなく、エキサイティングでありながらも、不安な日々でもありました。 今のように情報があれば、そこそこ自分の力で何とかできるでしょう。 ネット以前の世界では、そうはいきませんでした。 でも「日本に住んでいれば、神に寄り頼む必要はない」ということもありません。 海外とは真逆の現象があるからです。 毎日、平穏無事な日本ですが、そうなると全てがぼやけてしまいがちです。 僕は「みんなと同じなら何だっていい」みたいな空気に非常な危機感を覚えます。 「自分は誰なのか?」「なぜ生きているのか?」そこを避けようとする空気があります。 まわりに合わせているうちに、人生ゲームセットしてしまいます。 どの世界に住んでいようと、揺るがない土台があるのと無いのとでは、ピンチの時に変わってきます。 「困った時の神頼み」ではなく、信頼関係です。 日々神様と共に生きる、それを聖書の神様は一人ひとりの人間に対し渇望しているのです。 それを僕は知ったので、その招きに素直に応答して生きる事にしています。 クリスマスが今年もやって来ます。 神様がどんな方か知る機会となりますように。
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4月 2023
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