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チェイサーズは落花生がタダで食べ放題でした。
そこらじゅう殻が散らかりっぱなしです。 ケニー マンスのカントリーソングを聴きながら、7upを飲みながら、ひたすら豆を食べながら、宮木さんとの会話も弾んでいた頃です。 視界に入るキャシーの様子が気になりました。 「ヒトシ、木曜の夜、チェイサーズで歌うんだ。是非見に来てくれよ」
ケニー マンスは、スリムで髭面のおっさんでした。 白いシャツにブルージーンズ、カウボーイブーツを履いていました。 見ればすぐにわかる、いかにもカントリーシンガーというファッションでした。 父は70歳からジムに通い始め、今年82歳になりますが絶好調です。
以前は体重が100キロ近くあった頃もありました。 今は81キロくらいです。 僕と同じスピードで力強く歩けますし、アパートの4階まで余裕で登ります。 ジムには週5日通ってます。 語学やギター、なんでも基礎が大事です。
最初はそれが分かりませんでしたが、今こそ改めて基礎をやるべき。 それに気づいたのは、ある程度できるようになってからでした。 だから順序は大切です。 学校の英語は、教える順序が悪いです。 日本語のように、読み書きより、まず聞き取りと会話を先にすべきです。 子供は就学前にすでに日本語で話せて、そこから読み書き、文法を学びます。 英語の場合、いきなり読み書き、文法を目一杯やります、おかしいです。 ミルトン ナシメントは「ブラジルの声」と形容されるシンガーソングライターです。
初めて聴いたのは、アメリカに住んでいた頃です。友達のクリントがレコードやCDを聞かせてくれました。 最初はその声に違和感を覚えましたが、聴いていくうちに好きになりました。 曲も捻っているものが多いです。 ブラジルに住んでいた時、教会音楽のあるアーティストが、好きになりました。
ジョアオ アレシャンドレというシンガーソングライターです。 この人の弾き語りは非常に洗練されてます。 ブラジルのゴスペル業界の重鎮で、人気もありますが、日本では全く無名です。 認知されて欲しいです。 Shawn Stevenson 「最高の脳と身体をつくる睡眠の技術」を読んで、睡眠に対する認識が変わりました。
睡眠を「かけがえのない道楽」「五感を満足させるデザート」「心身からリラックスできるマッサージ」「特別な人とのデート」と表現してます。 そう捉えると、素晴らしいです。 人生3分の1は睡眠です、せっかくなら意識して楽しむべきです。 毎日の行為は食事だけではありません。 仕方なく寝る、という認識から改めようと思いました。 先日、ナゴヤドームに初めて行きました。
娘とプチ電車旅も楽しめて良かったです。 と言っても、すぐに娘は漫画「名探偵コナン」を読み始めましたが… 周りを見ると、100%スマホに見入ってました。(後で会話するグループもいましたが) 以前の僕でしたら、すかさずスマホで暇つぶしというところでした。 何もしない事に耐えられるか、ちょうどいい練習にもなると。 それにせっかく娘と出かけているのだし。 3ヶ月、毎日ブログを書いてます。
ebookを出版してから、書く練習をせねばと始めた有様です。 たった3ヶ月でも、何を書けばいいかと悩んだりします。 セス ゴディンは2005年から13年以上、毎日ブログ(開設したのは2002年)を書いています。 本当に尊敬します。 最近カントリーミュージックをよく聴いています。
初めて聴いたのが1984年で、80年代はロックと共によく聴いたものです。 その後も好きでしたが、長い間ジャズに傾倒してました。 今は80年代に好きだった人達を聴いてます。 留学時代、アメリカのローカルの層の厚さ、レベルの高さに驚きました。
誰でも教育が受けられる事、演奏の機会が至る所にある事にも。 フルタイム、パートタイム問わずミュージシャンをしながら学ぶ人も、趣味の人、年齢も様々です。 そもそも家が大きいので、ガレージでリハーサルできます。 教会でもしょっちゅうライブをしてます。 もちろんカレッジでもプラクティスルームやリハーサルルーム、コンサートホールなど完備されてました。 素晴らしい環境でした。 テクノロジーのおかげで、色んな事が簡単で安く出来るようになりました。
クリックやタップ一つで済む、すごい世の中です。 昔を振り返り、普通に今やっている事がどれほどすごいのか考えるといいです。 僕は海外生活の思い出をブログに書きながら、思い出しています。 それなりにメリットを感じます。 僕は完コピバンドとかソロとか苦手です。
カチカチに固まってしまいます。 自由なフィーリングの中で演奏する事が多いので、慣れてません。 それぞれ違う人間が、一緒に演奏する。 自由な雰囲気があって、楽しく演奏できる。 好きにやっていい、ちょっとくらい間違えても平気。 それは、その瞬間を生きる、と言う事を肌で感じられる行為だと思うんです。 パラグアイへの旅の連載で、僕の馬鹿さが分かって頂けたと思います。
まぁこんな感じで、何も考えてなかったんですね。 それに情報も無かったし。 敢えて言えば、こんな馬鹿な事でも体験できて良かったと思います。 ベロオリゾンテに帰り、結局ビザはダメだったと皆に伝えました。
すぐに日本行きの飛行機チケットを買いました。 もうこの辺りの記憶はほとんどありません。 混乱していたからです。 帰国するとはいえ、荷物もほとんどありませんし。 大使館からそのまま移民局に行きました。
まだ午前中の清々しさを感じながら、ビルの中に入り… ついにという気持ちでカウンターに向かいました。 「言われた通り、パスポートを用意しました。はい、どうぞ」 と白人中年女性に、出来立てのパスポートを手渡しました。 そして彼女はカウンターの奥に消えて行きました。 ベロオリゾンテに戻った僕は、再びバスチケットを買いました。
もうビザが切れる寸前だったからです。 でも、一週間後の日程しか空いてませんでした。 今回は、丁度日本から遊びに来ていた弟が同伴します。 アスンシオンの日本大使館を出て、また5時間バスに揺られて、国境付近の小さな町に向かいました。
ジュニオの友達が住んでいたからです。 ヴァギネル(名前)の小さなログハウスに、一泊させてもらいした。 国境付近は赤土です。 道路も舗装されておらず、到着した時はすでに夜でした。 赤土はパウダー状で、砂埃が酷かったです。 パラグアイの移民局に着き、長い列に並びました。
カウンターが近づいた時、ジュニオが会話を聞き取ろうとしてました。 失望した顔つきでカウンターを離れる人たちを、何人か見ました。 僕と同じ要望で来た人たちが、断られていたようです。 ブラジルで1年住んだ事があります。
実際には半年で一旦帰国し、ビザを取り直し渡伯しました。 当時情報がありませんでした。 多くの在日ブラジル人の友達は、ビザは何とかなるというばかりでした。 とりあえず、観光ビザで入国し、その後切り替えればいいと。 僕も24歳と若く、何も知らない子供でした。 何も無い所から何かを作るのは、神様の業です。
人間が作るものは、何かを加工したり、組み合わせたり、または何かからアイデアを得たり… 創造的であるけれど、完全なる創造をしてるわけではありません。 |
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4月 2023
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