腱鞘炎になり、手を休ませる事の大切さを知りました。
また腫れて傷んでいるところが、問題の元でない事も。 痛み止めは痛み止めに過ぎないと。 知らないと揉んでしまったかも知れません。 問題と結果の因果関係が分かると、無知の恐ろしさが分かります。 僕の場合、通訳仲間がマッサージ専門学校の先生でもあり、助けられました。 ソーシャルアプリをスマホから削除しました。
これからはデスクトップだけでソーシャルメディアをする事にします。 僕は中毒性のあるものにハマりやすいんです。 これまで色々やってみましたが、結局ダメでした。 歩きながら、学び続ける。
抽象的過ぎますが、これに尽きると思います。 成長をやめたら衰退していきます。 成長をやめないよう、学び続けるしかありません。 立ち止まる事があっても、また動き出すべきです。 僕には手に負えないプロジェクトでしたが、家族とOさんの会社と、2人のコンサルタントのおかげで何とか、オーストラリアに行けました。
僕と妹、兄の家族3人で、一軒家を借りて住みました。 キャマレイというシドニーの中心部から車で10分くらいの、閑静な住宅地です。 ユダヤ人と日本人夫婦の方の所有する、築100年近い家でした。 オーストラリアは地震がないので、古い家をリノベーションしつつ住むのが良いとされています。 古い家の方が天井が高かったり、アンティークな感じが好まれたりします。 「弁当作って売るだけだろ?空いた時間にギターやれるよ」
とジョージ ストリートをギター担いで闊歩する自分をイメージしました。 数年後それは実現しましたが、僕は甘かった。 ビジネスはキツかったです。 それは僕が余りに世間知らずだったからでしょう。 店を始めると言っても、そもそもビザの問題がありました。
そこで現地日系の代行業者に依頼しました。 最初に会社を立ち上げて、僕は雇われるという形です。 株主はOさんの会社と僕の家族です。 兄弟でやってましたが、ビザの都合上、名義が最初はややこしい形態でした。 Maruichi Australia Pty. Ltd.という会社名です。 小さな店なのに、3人(僕、兄、妹)も日本から雇うというのは不自然で、ビザの取得は難航しました。 結局最後まで、ビザの更新手続きは頭痛の種となりました。 「シドニーすごく気に入りました。やってみたいです」
「キヨスクみたいなのを考えてるんだ、そんなに難しくないよ」 当初、声をかけられた僕が、シドニーでお店を始めるというアイデアでした。 とはいえ何の経験もなかったので、まずは声をかけて下さった方のスーパーの惣菜部で教えてもらう事になりました。 |
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