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典型的な現代人の心境とは何でしょう。 毎日追われるような生活、秒刻みの、いつ破たんするかと綱渡り…という感じではないでしょうか? 僕もかつてはそうでした。 シドニーで10年暮らしていた時、まさにそんな生活でした。 海のそばに住んで、お金もあったし、自分のビジネス、そして演奏の仕事もこなし、結婚もして…充実してはいました。 でも、効率だけを追い求めた結果、無感動な人間になってしまいました。 日本に帰国する時に誓ったのは、「絶対スローライフにする」でした。 でも、そう簡単に鈍感になった心は変わりませんでした。 生活はスローになっても、それを楽しむ心の余裕がなかったのを覚えています。 楽しむためには自分の内面が変わる必要があります。 外部からの刺激では根本的な解決にはなりません。
など色々と願いはあるでしょう。 しかし、それらはアウトサイドインです。 外部からの変化です。 そうでなくて、「今あるがままで」、というか多くの場合、むしろ今持っているものを捨てると、楽しめるようになります。 しかしそれには段階があると思います。 まず捨てると安心します。 実は生きるのに必要なものは多くない、と分かります。 日々の食べ物、寝る所、少しの服だけです。 悩む必要はない、と気づくと楽になります。 世間体とは誰が考えたのか?、ただの幻想に過ぎないと分かります。 むしろ必要なのは、心の平安です。 そして捨てていくほどに、心が楽になって行きます。 残ったものは、自分が愛してやまないものだけです。 そうなるまで自分を見極められるといいです。 無駄な事に費やす時間はなくなり、浮いた時間は自分の愛する事に費やせるのです。 好きな事を存分にできるようになり、充実します。 これが捨てる事の意義です。 さらには、掃除や洗濯、皿洗いなどの家事までも、幸せな時間となり得るのです。 日常の当たり前が、全く美しい作業に感じるのです。 普通の毎日で幸福でいられるなら、無敵だと思いませんか? 大抵は、上記のリストのように外部の変化に頼ろうとします。 しかし単純な作業の中に、喜びは宿ります。 僕の場合、時間がかかりましたが、毎日素朴な感動に浸りながら暮らせるようになりました。 増やすより、減らす方がいいです。 減らして、自分にとっての適量を知るのです。 無感動になってしまったら、何をしても同じです。 敏感になれば、家事でも感動するのです。
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4月 2023
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