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ギターを弾いてるからモテた訳ではないと思いますが…ちょっとモテ期だったかもしれない時期があります。 それはブラジルに住んでいた1年です。 ミナスジェライス州の町々村々に、バンドで旅する生活でした。 ショーの後にサインを求められる、と言う面白い経験をしました。 でも本当は僕なんか関係なくて、日本ブランドのおかげだと思います。 南米では日本人は尊敬されます。 アメリカ大陸は北と南でこんなに違うのか、と驚くほどです。 まあアメリカで、これといった差別を受けた訳ではありませんが… 所詮は敗戦国という感じでした。 南米は日系人の貢献により、国が発展しました。 それで勤勉、誠実だ、と日本人に敬意が払われます。 移民一世は言葉が分からず、仕事を選べません。 それで子供に教育の投資しました。 二世以降はエリートを多く輩出し、色んな分野で活躍しています。 日本人は真面目で、頭が良く、良く働き、リッチという評判を確立しました。 僕はその正反対ですが、おかげでそう見られたのです。 日本ブランドのお陰です。 僕と結婚すれば日本に行ける、と狙った人もいたでしょう。 住んでいたベロオリゾンテは、日系人がいないエリアでした。それで余計にブランド効力があったのかもしれません。 とにかく僕は、先人の業績と、南米での日本ブランドが、日本で評価されて欲しい。 彼らはブラジルで日本人と呼ばれ、それを誇りとしてきました。 ところが、出稼ぎ労働者として来日した彼らは、外人と言われます。 ショックを受ける人が多いそうです。 一攫千金を夢見て、海を渡ったと言われますが、実際は違います。 貧困で苦しむ日本の為に外国へ渡ったんだ…と彼らは言います。 天皇陛下の願いならば、と一時的に南米で過ごすつもりでした。 しかし着いてみると、騙されたと分かり、彼らは途方にくれました。 ブラジル政府が求めていたのは、奴隷制度廃止後の、奴隷の代わりでした。 だから当初はブラジル人もよく分からず、移民を奴隷と勘違いする人もいたそうで… 奴隷や動物のように、日本人を打ち叩いたり、酷く扱う人もいたと聞きます。 また大きな土地を与える、と向かった先は道なきアマゾンの中だったり… 20キロ先にあるその土地に辿り着くのに、20年かかったと聞きます。 中にはマラリアにやられたり、亡くなった方も少なくないそうです。 良くやったと思います。 日系人の友達を訪れた時、他にも色んな話を聞かされました。 また、コミュニティが古い日本の教育を貫いていると知りました。 今の日本より、もっと日本人だと思うほどです。 驚いたのは、彼らが外人(白人やその他)をバカにする事です。 それ自体はどうかと思いますが、おかげで洗脳から解放されました。 白人優位という、日本政府とアメリカによる刷り込みです。 ところ変われば、日本人でいるだけでこんなに良くしてもらえる。 逆に白人を差別するくらい日本人はパワフルだと。 突然、目が開かれました。外から自分を見たと言う感じ。 「なんだよ、白人だからっておどおどする必要ないじゃん」 それくらい極端な環境に身を置いて、初めて気づくんです。 自虐的な人間になるよう、これまで巧妙に洗脳されてきたんだと。 音楽、映画、スポーツなど文化やメディアを通して。 ブラジルで暮らした1年のおかげで、僕は白人コンプレックスが無くなりました。
洗脳解除の経験は本当に感謝で、その後のオーストラリアの生活に活かされました。 プチモテ期など比較にならないほど、価値のある体験でした。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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