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留学時代、アメリカのローカルの層の厚さ、レベルの高さに驚きました。 誰でも教育が受けられる事、演奏の機会が至る所にある事にも。 フルタイム、パートタイム問わずミュージシャンをしながら学ぶ人も、趣味の人、年齢も様々です。 そもそも家が大きいので、ガレージでリハーサルできます。 教会でもしょっちゅうライブをしてます。 もちろんカレッジでもプラクティスルームやリハーサルルーム、コンサートホールなど完備されてました。 素晴らしい環境でした。 日本では1990年当時、バンドと言えば楽器屋のリハーサルスタジオくらいなものでした。 今ではカラオケ屋(ギターだけですが)や公民館などもリハーサルできます。 でも有料ですし、数も少ないです。 今もなお、日本は遅れているのかも知れません。 感心したのは、みんなハングリーでオープンマインドだった事です。 驚いたのは、ラフさが目立つ事。 きっちりやりません。 演奏するのは特別な事ではなく、正確にキメる事がゴールではないと感じました。 日本人はとても正確ですが、その部分は外人は不得意です。 でもそれはそれでもいいのだ、その方がらしい演奏だと知りました。 キレとかいう表現がよく使われますが、僕にはどうもしっくり来ません。 ある黒人ドラマーが、まさにそんな感じの叩き方をしてました。 「彼の事どう思う?」 友達のアンディ メンドーザというドラマーが、耳元で尋ねて来ました。 「すごいな、でも何て言ったらいいか分からないけど…」 「硬いと思わないか?俺はああ言うのは嫌なんだ、柔らかにやりたいんだ」 「なるほど、ああ言うのは確かに硬いよね…」 言葉一つで感じ方に納得できました。 それがなければ、キレと思い込んでいただろうと思います。 硬い、柔らかいとか、しなやか、軽やか、重々しいという表現は、僕にはしっくり来ます。 その方が音楽的に感じます。 キレというと、かっこよく聴こえるのですが、キビキビした感じ、シャープな感じ、細かく正確に、みたいに感じます。 それも沢山ある表現の一つに過ぎません。 そもそも時間は数字で枠が仕切られてる訳でもない。 小節線や拍は便宜上想定するものの、物理的に音楽の中には存在しません。 キレとかシャープさというと、スタッカートのように音を切る感じの表現に使われると、分かりやすいです。 だから全体の表現の一つです。 でも全体の雰囲気やある人を表現する時には、ちょっと違うんじゃないかと思う訳です。 デジタルな視点しかない人は、キレとか正確さが物事の基準としてしまうのでしょうか。 歌番組でダンスを見てると、細々とした事を必死にシンクロさせているようです。 硬くて、一生懸命やりすぎて、余裕がない感じです。 肉体的動作の限界に挑戦している感じは伝わって来ます。 でも、それだけなのか?それを表現したいのか?と疑問に感じます。 実は正確さだけではなく、感情に任せてフリーに、ゆるゆるにやるのは難しいです。 拍や小節線から自由になる技術は、シンガーから学ぶといいです。 ジャズやブルース、カントリーシンガー、またはホーンプレイヤーから。 演歌歌手もいいです。 ジャズドラマーになると、自由という意味が分からなくなるほど自由です。 ルースにやるのは時間軸を曲げるような、というかそれに逆らうような技術なので、難しいです。
時間軸に合わせながら、そこから自由にやれなければ戻って来れません。 だから難しいです。 時間軸に正確に合わせるマスターはロボットでしょう。 今の若者の関心事は、人間とマシンが一体化する現実へ向かっているサインなのかも知れません。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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