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時短テクとか時間の節約アイデアは、ある程度までは役に立ちます。 しかしいずれ歪んでくるので、根本的に考えを改めるべきです。 もっと良い解決法があります、人生のリストラ(再構築)です。 時短など考えず、捨てるといいです。 そもそも、時短が良いとされるのは、子育て中の母親くらいなものです。 手がふさがってしまうので、時短テクに頼ってもおかしくありません。 でも学校に通い始めたら、母親は家事そのものを楽しむのが良いです。 洗濯機、ガス風呂、冷蔵庫が無い時代では、家事は大変でした。 その頃と比べると、随分楽なはずです。 どうして今の人はそれが大変に感じるのでしょう? ミニマリストは、モノを捨ててしまいます。 収納テクで何とかしようとは思いません。 それは「また買い足す」前提なのです。 それが問題の根です。 モノと同じようにコトも「徹底的に捨てる」のです。 減らして初めて、日常の営みに意識が向いてきます。 例えば、「そうじ」です。 「仕方なくやる」、「やらなければ」と思いながらやるのではなく、それ自体を楽しむのです。 意識を向け、集中したとたん、面白くなります。 気持ちよい作業になります。 それはゴシップ番組からは決して得られない、清涼感を与えてくれます。 神聖さとも言えるような清々しさ、爽やかな気分にさせてくれます。 テレビと、どちらがいいでしょう? 本当はどうでもいい話なのに、ネガティブなネタばかりなのに、「お菓子食べながら、いつも観る番組」として To Do リストしていませんか? そうじはそれなりに体を動かすので、色んな筋肉も刺激します。 作業(仕事)そのものが喜びになるのです。 それは自分にとっても、家族にとっても良い事です。 寝転んでお菓子たべて、くだらないテレビを観るのを習慣としているなら、心身ともに不健康になってしまいます。 こんな典型的な専業主婦の話を例にすれば、誰でも分かります。 でも、こんな生活している人が、未だにこの世に存在するのでしょうか? もっと忙しく働いているはずですね。 みんなこのぐーたら主婦と同じだ、と言ったら怒るでしょう。 「オレは毎日死にそうなくらい働いてるんだ」と。 でも根本的な事を言えば、心身ともに悪い事をしているかも知れない、って事です。 踏み込んで言えば、「もっと自分を顧みてはどうですか?」という事です。 例えば、「仕事が忙しい」と言ってしまうと、思考が停止します。 仕事を引き合いにすれば、全てが許されてしまう風潮があるからです。 でもそれで人生が終わっていいのでしょうか? 「それは本当の仕事なのか?」と問い詰めると、一筋縄ではいきません。
考えてみると、色々あります。 本当の仕事以外は、やめるか、人に任せたらいいです。 本当の仕事は、そうじのように「喜び」となり、自分にも会社にも良いはずです。 そして本当に時間が無いのか?と問い詰めると、作れるはずなのです。 「嫌だけど生活のためにしている」のであれば、人生を放棄しかかっています。 人生の中で仕事はほとんどの時間を占めています。 人生のほとんどが不幸な時間で、週末と休日だけが幸せな時間となります。 しかも、週末にたまっていた家事や、買い物、子供の用事などを済ませると、時間は残りません。 結局、時短テクというのは、「出来る限り詰め込む」です。 全く知恵がありません。 究極に疲れ果てるためのテクニックに過ぎないと思いませんか? 愚かです、馬鹿らしいです。 昔、ハイテクが人間の暮らしをもっと楽にすると言ってました。 便利にはなりましたが反対に、もっと苦しくなりました。 「ハイテクで時短できた分、他の仕事ができる」というパターンに陥ったからです。 こんな事ならローテク時代と変わりません。 優先順位をつけ、トップ3以外は捨てないと永久に奴隷として生きる事になります。 時短した分、自分が楽しむ、家族と楽しむ、もっと有意義な事をするための時間に費やさなければ、人生の質は落ちています。
しかし時短人間は、往々にして、自分が楽しむ時も、家族と楽しむ時も、有意義な事をする時も、全て時短マインドで効率主義で行動してしまいます。 そこが時短人間の悲しい性です。 ぼーっと出来ません、時を味わう事が出来ません。 根本的に変えなければ、ラットレースから抜けられません。 まず捨てて、何が一番大切かを見極めるといいです。 そして平凡な家事をも楽しみながら暮らせるといいです。 そうしたら毎日が楽しみになります。 人生のリストラ(再構築)が必要です。 休暇を待ちわびる人生、それ以外はカオスの人生なんてやめましょう。
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4月 2023
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