|
最近時間に余裕を持って動くようにしています。 通勤の電車にしても、3本くらい前のやつに乗ります。 つまりそれだけ早く家を出るわけですが、結構楽しいです。 これまでは「いかに無駄なく時間を有効活用できるか?」の基準で動いていました。 最近は「いかに今この瞬間を感じられるか?」を努めてます。 職場に早く着いてもやる事がないので、わざとスローに動き、普段と違う道を歩き、立ち止まったり… スローにするだけで、色々気づきます。 「こんな店があったのか…」「花が綺麗だな」「色んな音で溢れてるんだな」 余裕があり、その瞬間を意識すると、通勤中なのに、まるで休日のような気分になります。 「人生とは日常そのもの」と考えると、「早くゴールに辿り着きたい」だけの人生がもったいなく感じます。 頑張るのは楽しい、間違っていないけれど、日常にも沢山のプレゼントが与えられているんだなあと。 ただ忙しく通り過ぎてしまうのはどうか。 帰国して12年以上になりますが、やっとそんな心境になりました。 シドニーにいた頃は効率だけを考え、その結果、無感動になってしまいました。 何をするにしても「早く、無事に終わってくれればいい」でした。 全てが投げやりで、楽しむ事を忘れてしまいました。 「どうでもいい、とにかく忙しいのだから…」だけです。 だから帰国してからは、スローライフが一つの目標でした。 ただ自分としてはそのつもりでいても、まだ甘かったです。 実は早食い、早歩き、時間ギリギリ、詰め込みの行動が改まってません。 でも最近の試みで「日常の贅沢」を味わい始めました。 「ゆっくり」にするだけで、見えなかったものが見えるようになる。 同じ場所、同じ時間なのに、まるで見えてなかった… それに気づき、自分の生き方が間違っていたと分かりました。 ギターでそれをよく感じます。 知ってるつもりいた、でも実は知らなかった。 そんな事の繰り返しです。 「何かすごい事」をマスターすれば、「上手くなれる」と思っていました。
でも真実はその逆です。 「基礎的で当たり前の事を、色んな角度で見る事が出来るか?」に尽きると思います。 当たり前の日常を、どんな風に見る事が出来るか?に酷似しています。
0 コメント
返信を残す |
アーカイブ
4月 2023
|