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金より時間の価値が高い、という話はよく聞きます。 時間を買う事は出来ないからです。 死ぬ間際でいくら金を積んでも、おしまいです。 大衆受けするものは、大抵間違っている - オスカーワイルド 例えば、定年退職をしてから人生を楽しもうというアイデアがあります。 これは時間の価値を考えると良い考えではない、と分かります。 なぜなら時間の単位そのものは変わらなくても、時間を消費する自分が変わり果てているからです。 人生のステージによって、それぞれできる事は違います。 今出来る事が今しかできない、という事もあるからです。 それに気付いたら、何かを犠牲にしてもやらないと後悔します。 つまり時間の価値はそれぞれの時期によって意味づけられます。 僕は最高にラッキーだったと思う事があります。 それは帰国してから、所謂まともな職に就かなかった事です。 つまり毎日忙殺されて、会社の奴隷になる人生を選ばなかった事です。 経済的には余裕はゼロですが、考える時間と子育てをする時間が出来ました。 子育てをして、初めて父親の意味を知りました。 それは何にも代えられない素晴らしいものでした。 人生とはこんなに美しく、シンプルなのだと。 そう気づいてから人生が変わりました。 だから日々の生活の中でいくつかのルールを作って、人生の美しさを守る努力をしています。 それは信仰に関わる事でもあります。 就寝前には娘のために聖書を1章読み、お祈りします。 食事の前は必ず感謝のお祈りを捧げ、テレビは必ず消します。 学校に行く前に、事故や病気や悪い人から守られるよう、しっかり勉強や運動が出来、友達と楽しく過ごせるように祈ります。 これらは幼稚園からずっと毎日続けています。 寝る、食べる、登校する、などの日々の中で娘と関わる時を持っています。 習慣に過ぎないかも知れません。 しかしその総計が人生なのです。 日々、事あるごとに娘のために祈る、それが僕の人生です。 そんな父親だったと、娘にも覚えていて欲しいです。 そんな日々の瞬間に価値を置いています。 もちろん定年後の生活を楽しむ事を否定する気はありません。 でも今の幸せの延長上に定年後の充実もあると思っています。 娘の成長を見届ける事をやめろと言われたら、生きている価値無しと思うほどです。 つまり今の生活はそれほど幸せだという事です。 仕事が忙しくてそれが出来なくなったら? 仕事を変えるだけです。 娘との時間はそれほど幸せを感じさせてくれます。 そしてその時間には限りがあるのです。 今しかありません。 だから今の価値は高いのです。 その意味で言うと、定年後に価値などありません。 大雑把すぎるライフスタイルの計画より、細かく考える方がいいと思います。
いつか時間の余裕が出来たら、金の余裕が出来たら… そういう事はやめようと努めてます。 今この瞬間にもできる事は沢山あるはずです。 でも、考える余裕もないほど忙しくしていると、流されるまま時間だけが過ぎていってしまいます。 そして、時間は命でもあるのです。 コメントの受け付けは終了しました。
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4月 2023
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