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どんないい土地に住んでも、感謝と鋭い感性があっても、いずれ慣れてしまいます。 僕も「これが当たり前だ」という感覚で暮らしてしまう経験をしました。 今の時代、スマホに時間を割くより、散歩でもして幸せを噛みしめる時間を持つべきだと思います。 僕は南カリフォルニア、シドニーという、気候も温暖で、とても美しいエリアに住んでいました。
年中エアコン無しで暮らせるという、日本では考えられない快適さなのです。 ただ何年も住んでいると、感謝を忘れ、慣れてしまいます。 どんなに美しくて初めの感動は薄れてしまいます。 日本に帰国して初めて、「日本に戻ってくるんじゃなかった」と後悔しました。 良いものも、自分の感覚を研ぎ澄ます努力を怠ると、感覚が麻痺してしまいます。 またブラジルにも住みました。 決して綺麗な街ではありませんが、それでも住めば都となりました。 だから感覚が麻痺する事がよくないのだと思います。 2006年に帰国してしばらくは新鮮ではあったものの、退屈にも感じました。 それが年月とともに、海外生活の感覚が消えました。 たんぼこそが僕の原風景だと感じられるようになったのです。 今では再び地元愛が芽生えて、些細なことを喜び感謝できるようになりました。 これは子育てが大きな助けとなっています。 「娘と一緒に日々の瞬間を味わいたい」 と心に焼き付けようと主体的になっているからだと思います。 やっと子供の頃のような感受性に戻る事ができました。 普通の日々がどれほど幸せで、感謝すべき事か、いつも散歩しながら幸せを噛みしめるようにしています。 どの国に住んでいようが、意図的にそうしなければならなかった、と気づきました。 なぜなら日々は忙しく、あっという間に過ぎ去ってしまうからです。 誰もが「幸せに暮らしたい」、漠然とそう思っているはずです。 実はすでにそうなのに、感性が衰えているだけでなく、意図的に感じようとしていないのが問題です。 それはある意味、スマホの罪とも言えるかも知れません。 スマホに費やす時間はあっても、自らの幸せを味わう時間を割こうとしない… それでいて、いつも漠然と「幸せな日々」を夢見てしまうのです。 だから努めて散歩に出かける事をおすすめします。 健康のためだけでなく、メンタルのためにもです。
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4月 2023
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